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【eスポーツの歴史】始まりは1972年!?eスポーツ発展の歴史を徹底解説!

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ビギマル

世界や日本で、eスポーツっていつから始まったの?

ビギマル

eスポーツの大会ってどんな歴史があるの?

こんなお悩みを解決します。

本記事の内容

・1972年 – 1990年: コンピュータゲームの先駆的な大会とジャンルの多様化

・1992年 – 2000年: FPSの台頭とオンラインゲームの普及

・2000年 – 2010年: プロフェッショナルゲーミングの台頭と国際的な大会

・2010年 – 2020年: eスポーツの爆発的な成長とグローバルな影響力

本記事の信用性


本記事を書いている僕は、自作PC歴10年。現在はWindowsの自作PCとノートパソコンのMacbook Proを愛用しています。


最近は愛用の自作PCでSteamのゲームとAPEXをプレイしています。

近年、”eスポーツ”というワードをよく耳にしませんか?

気が付いたら世界中で耳にする”eスポーツ”というワード。すべての始まりはなんと1972年とかなり前の出来事だったんです!

本記事では、そんな”eスポーツの歴史”について解説していきます。

Contents
  1. 1972年 – 1990年: コンピュータゲームの先駆的な大会とジャンルの多様化
  2. 1992年 – 2000年: FPSの台頭とオンラインゲームの普及
  3. 2000年 – 2010年: プロフェッショナルゲーミングの台頭と国際的な大会
  4. 2010年 – 2020年: eスポーツの爆発的な成長とグローバルな影響力

1972年 – 1990年: コンピュータゲームの先駆的な大会とジャンルの多様化

1972年: スタンフォード大学で『スペースウォー!』の大会が開催

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印旛村出身の伊藤穣一, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

『スペースウォー!』の大会は、コンピュータゲームの歴史において最初の公式な大会として知られています。

『スペースウォー!』は1962年に開発され、主に大学のメインフレームコンピュータでプレイされました。

1972年、スタンフォード大学でこのゲームの大会が開催され、参加者たちは互いに対戦し、高得点を競い合いました。

この大会がコンピュータゲームの競技化の端緒となり、後のeスポーツの発展に大きな影響を与えることとなりました。

1980年: アタリが『スペースインベーダー選手権』を開催

1980年、アタリは人気のあるアーケードゲーム『スペースインベーダー』の大会を開催しました。

この大会は全米で1万人以上の参加者を集め、コンピュータゲームの大会の規模が大きくなるきっかけとなりました。

この大会の成功により、コンピュータゲームの競技としての認知度が高まりました。

1981年: ツイン・ギャラクシーズがハイスコア記録組織を設立

1981年、ツイン・ギャラクシーズというハイスコア記録組織が設立されました。

この組織はプレイヤーのスコアを記録し、公式なランキングを作成することで競技要素を強化しました。

ハイスコア記録組織の存在により、コンピュータゲームのプレイヤーたちはより一層競争意識を持つようになったと言えます。

1983年: ツイン・ギャラクシーズがU.S.ナショナルビデオゲームチームを設立

1983年、ツイン・ギャラクシーズはU.S.ナショナルビデオゲームチームを設立しました。

これはアメリカ初のプロフェッショナルビデオゲームチームであり、才能あるプレイヤーたちが集まって競技活動を行いました。

これが歴史上初の”プロゲーマー”の誕生です。

彼らは様々な大会に出場し、国内外での試合で優れた成績を収めました。

U.S.ナショナルビデオゲームチームの設立により、プロゲーマーとしてのキャリアが現実のものとなり、eスポーツの成長に寄与しました。

1990年: カプコンが『ストリートファイターII』を発売

1990年、カプコンは『ストリートファイターII』という対戦格闘ゲームを発売しました。

このゲームは2人が互いにキャラクターを操作し、戦いを繰り広げるものでした。

『ストリートファイターII』は瞬く間に人気を集め、世界中でプレイされるようになりました。

このゲームの成功により、対戦格闘ゲームのジャンルが広まり、競技としての人気も高まりました。

1992年 – 2000年: FPSの台頭とオンラインゲームの普及

1992年: id Softwareが『Wolfenstein 3D』を発売

Wolfenstein 3Dのゲーム画面

1992年、id Software『Wolfenstein 3D』という初期のFPS(First-Person Shooter)ゲームを発売しました。

このゲームはプレイヤーが主人公の目線で敵を倒しながら進んでいくスタイルで、非常に革新的なゲームとなりました。

『Wolfenstein 3D』の成功により、FPSのジャンルが注目を浴び、後のゲーム開発に大きな影響を与えました。

1993年: id Softwareが『DOOM』を発売

1993年、id Softwareは『DOOM』というゲームを発売しました。

『DOOM』は先駆的な3Dグラフィックスとネットワークマルチプレイ機能を備えたFPSゲームであり、大きな成功を収めました。

このゲームは後のFPSゲームの基礎を築き、多くの人々に影響を与えました。

1995年: Battle by the Bayという格闘ゲームの大会が開催

1995年、カリフォルニアで『Battle by the Bay』という格闘ゲームの大会が開催されました。

この大会は対戦格闘ゲームのプレイヤーが集まり、腕を競い合う場となりました。

後にこの大会はEVO(Evolution Championship Series)の前身となり、世界最大級の格闘ゲーム大会となっています。

1996年: id Softwareが『Quake』を発売

Quakeのゲーム画面

1996年、id Software『Quake』というゲームを発売しました。

このゲームは初めて3D描画技術を使用し、オンラインマルチプレイ機能も搭載されていました。

『Quake』のリリースにより、FPSゲームの技術革新が進み、インターネットを通じた対戦プレイが一般化しました。

1997年: Cyberathlete Professional League (CPL)が設立

1997年、Cyberathlete Professional League (CPL)というeスポーツトーナメント組織が設立されました。

CPLは世界各地でプロゲーマーたちによる競技を行い、賞金付きの大会を開催。

CPLの設立により、eスポーツのプロフェッショナル化が進み、プレイヤーたちはより高いレベルで競い合うようになりました。

1998年: Sierra Studioが『Half-Life』を発売

1998年、Sierra Studio『Half-Life』というゲームを発売しました。

『Half-Life』はFPSゲームの中でもストーリー性やAI(人工知能)の進化が評価され、多くの賞を受賞。

このゲームの成功により、FPSゲームの発展に新たな方向性が生まれ、現在のFPSへの第一歩となりました。

1999年: 『カウンターストライク』の登場

1999年、『カウンターストライク』は『Half-Life』のMOD(モディファイド)としてリリースされました。

このゲームはチーム対戦の要素を強化し、テロリストと対テロ特殊部隊の対戦をテーマにした人気のオンラインゲームとなりました。

『カウンターストライク』はその後も長く支持を受け、eスポーツの一翼を担う作品となっています。

2000年 – 2010年: プロフェッショナルゲーミングの台頭と国際的な大会

2000年: 「esports」という言葉の誕生とKeSPAの設立

2000年、競技としてのコンピュータゲームを指す「esports(イースポーツ)」という言葉が誕生しました。

この言葉は”electronic sports”の略であり、コンピュータゲームをプロフェッショナルに競技する文化を表現しています。

同じ年、韓国では韓国eスポーツ協会(KeSPA)が設立され、プロゲーミングの普及と発展を促進しました。

KeSPAはプロゲーマーの育成や大会の運営などを行い、韓国のeスポーツシーンを牽引しました。

2001年: Blizzard Entertainmentが『スタークラフトII』を発売

スタークラフトIIのゲーム画面

2001年、Blizzard Entertainmentは人気のあるリアルタイムストラテジーゲーム『スタークラフト』の続編である『スタークラフトII』を発売しました。

『スタークラフトII』はマルチプレイ対戦にも対応。特に韓国で大きな成功を収め、国民的競技となりました。

『スタークラフトII』の登場により、eスポーツは国際的な注目を集めるようになりました。

2002年: Major League Gaming (MLG)が設立

2002年、Major League Gaming (MLG)というeスポーツトーナメント組織がアメリカで設立されました。

MLGは様々なゲームの大会を開催するなど、プロゲーマーたちの競技活動を支援しました。

例えば、MLGはプロゲーマーたちにとって安定した収入源を提供することで、プロフェッショナルゲーミングの成長に大きく貢献。

MLGの存在により、アメリカにおけるeスポーツの人気と競技レベルは大きく向上しました。

2003年: Valve Corporationが『カウンターストライク1.6』をリリース

2003年、Valve Corporation『カウンターストライク1.6』という『カウンターストライク』シリーズの公式版をリリースしました。

このバージョンでは、ゲームのバランスやプレイ性が改善され、多くのプレイヤーに支持されました。

また、同年、Valveはオンライン配信プラットフォームであるSteamを開始し、ゲームのダウンロードとマルチプレイの環境を一元化しました。

『カウンターストライク1.6』とSteamのリリースにより、オンラインゲームとeスポーツの結びつきが強まりました。

2004年: Blizzard Entertainmentが『ワールド・オブ・ウォークラフト』を発売

ワールド・オブ・ウォークラフトのロゴ

2004年、Blizzard EntertainmentはMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)『ワールド・オブ・ウォークラフト』を発売しました。

このゲームはオンライン上で数千人のプレイヤーが同時に参加し、世界を冒険することができるものでした。

『ワールド・オブ・ウォークラフト』のリリースにより、オンラインゲームの普及が加速し、eスポーツの可能性も広がりました。

2010年 – 2020年: eスポーツの爆発的な成長とグローバルな影響力

2011年: Valve Corporationが『Dota 2』のThe Internationalを開催

Dota 2のゲーム画面

2011年、Valve CorporationはMOBA(Multiplayer Online Battle Arena)ゲーム『Dota 2』の初の大会であるThe Internationalを開催しました。

The Internationalは賞金総額160万ドルという当時としては破格の額を用意し、世界中のトッププレイヤーが競い合いました。

この大会はeスポーツ界における画期的なイベントとなり、プロゲーマーたちの注目を集めました。

The Internationalの成功により、eスポーツはますますメインストリームの一部となり、プロゲーマーのキャリアやファン層も拡大しました。

2012年: Riot Gamesが『League of Legends』の世界選手権シーズン2を開催

2012年、Riot Gamesは人気のMOBAゲーム『League of Legends』の世界選手権シーズン2を開催しました。

この大会は賞金総額200万ドルという当時最高額のeスポーツイベントであり、世界中から集まったトッププレイヤーが激戦を繰り広げました。

『League of Legends』の世界選手権は視聴者数も増加し、大規模なスポーツイベントのような興奮を生み出しました。

2013年: Valve Corporationが『Dota 2』のThe International 2013を開催

2013年、Valve Corporation『Dota 2』The International 2013を開催しました。

この大会では賞金総額280万ドルという驚異的な額が用意され、eスポーツ界における賞金の新たな基準を確立

The International 2013はプロゲーマーたちにとっての夢の舞台となり、世界中のファンから熱狂的な支持を受けました。

また、この大会ではプレイヤーに対して独自の仕組みを導入し、eスポーツのプレゼンテーションやエンターテイメント性の向上にも貢献しました。

2014年: Riot Gamesが『League of Legends』の世界選手権シーズン4を開催

2014年、Riot Gamesは『League of Legends』の世界選手権シーズン4を開催しました。

この大会は賞金総額210万ドルという大規模なeスポーツイベントであり、世界中から数多くのプロチームが参加しました。

『League of Legends』の世界選手権は視聴者数も増加し、スタジアムでのライブ観戦だけでなく、オンラインストリーミングプラットフォームを通じて世界中の人々に魅力を伝えました。

この大会はeスポーツのグローバルな影響力をさらに高めるきっかけとなりました。

2015年: Valve Corporationが『Dota 2』のThe International 2015を開催

2015年、Valve Corporationは『Dota 2』のThe International 2015を開催しました。

この大会は史上最高額の賞金総額1800万ドルを誇り、eスポーツの金字塔としての地位を確立しました。

The Internationalはプロゲーマーだけでなく、一般の人々にも大きな注目を集め、競技としてのコンピュータゲームがますます認知されるようになりました。

またこの大会ではチームの国籍に関係なく、プレイヤーたちが協力して競い合う姿勢が評価され、eスポーツのコミュニティにおける国際交流の促進にも寄与しました。

2016年: Riot Gamesが『League of Legends』の世界選手権シーズン6を開催

2016年、Riot Gamesは『League of Legends』の世界選手権シーズン6を開催しました。

この大会では賞金総額500万ドルが用意され、プロゲーマーたちは激しいバトルを繰り広げました。

『League of Legends』の世界選手権は視聴者数も増加し、世界中の人々がプレイヤーたちのスキルや戦略を見守るようになりました。

さらに、大会の開催地を異なる国や地域に移動させることで、eスポーツの人気と影響力が地域を超えて広がる一助となりました。

2017年: Valve Corporationが『Dota 2』のThe International 2017を開催

2017年、Valve Corporationは『Dota 2』のThe International 2017を開催しました。

この大会では前回大会を上回る賞金総額2400万ドルが用意され、eスポーツ史上最高の賞金額を更新しました。

The Internationalはプレイヤーたちの技術と戦略の競演だけでなく、プロダクションのクオリティや視聴者体験の向上にも注力しました。

さらに、日本で初めて韓国人選手にアスリートビザが発行されるなど、eスポーツのプレイヤーとしての地位や評価が世界的に広まる契機となりました。

2018年: Riot Gamesが『League of Legends』の世界選手権シーズン8を開催

2018年、Riot Gamesは『League of Legends』の世界選手権シーズン8を開催しました。

この大会は賞金総額650万ドルをかけた熱い戦いが繰り広げられ、プロゲーマーたちは世界一を目指して競い合いました。

『League of Legends』の世界選手権はeスポーツイベントとしての規模や注目度が増し、スポーツ競技の一環としての地位を確立しました。

また、この大会を通じてeスポーツのプレイヤーやファンの間で共感や感動を生み出し、eスポーツの社会的な影響力が一層高まったのです。

2019年: Valve Corporationが『Dota 2』のThe International 2019を開催

2019年、Valve Corporationは『Dota 2』のThe International 2019を開催しました。

この大会は前回大会をさらに上回る賞金総額3400万ドルを誇り、史上最高額のeスポーツイベントとなりました。

The Internationalは世界中から集まったトッププレイヤーが競い合い、その戦いは数々のエキサイティングな瞬間や感動的なストーリーを生み出しました。

この大会の驚異的な優勝賞金によりeスポーツの人気が急速に拡大し、プレイヤーや視聴者の間で熱狂的なコミュニティが形成されました。

また、この大会を通じてeスポーツの市場価値も急速に上昇しました。スポンサーシップや放送権の取引が活発化し、eスポーツはビジネスとしての側面も大きく発展したのです。

多くの企業や投資家がeスポーツに参入し、その成長潜在力と魅力を見出してきています。

ABOUT ME
kichimaru
自作PC歴10年以上。 現在は自作のWindows PCとMacbook Pro、AndoroidにiPhoneを併用している変態。 中の人はPCやゲーム、釣りにキャンプと幅広く趣味を持つ20代会社員。